バベルの回廊にて

読書あれこれ

Carcassone    ウィリアム・フォークナー著

またフォークナー。

フォークナーの短編集に「These Thirteen」(1931)というのがある。

最初の自選・短編集で、13の短編小説がおさめられている。

 

このなかの作品のひとつが、前回書いた「A Rose for Emily」。傑作と言われている短編。

この13作品のなかでも世評が高いのが、「Red Leaves」「That Evening Sun」など。

そしてこの短編集の最後にあるのが、「Carcassone」で、たった6頁ほどの物語なのか詩なのかわからない作品。

自選集のなかにこれを入れたかったのだから、フォークナーにとっては愛着のある作品なのだと思う。

「フォークナー全集8/これら13編」(冨山房)のなかに、林信行氏の翻訳で載っている。

 

私が「These Thirteen」のなかで好きなのは、「That Evening Sun」と、この「Carcassone」。

響きと怒り」のコンプソン家の子供たちが出てくる「That Evening Sun」は、南部の闇のなかでの恐怖と死の予感とに満ちていて、何度読んでも素晴らしい。

そしてわけがわからないながら、強く惹きつけられるのが「Carcassone」。

 

ストーリーはない。

一人の男が、酒場の屋根裏部屋に住んでいる。ネズミが走り回るようなその部屋で、彼は自分の夢想に耽溺している。

彼は自分のことを「skelton(形骸)」と呼ぶ。

実際、彼の生活はもう「生」よりも「死」に近いところにあるような気配がする。毛布もなく、tarred paper(タール塗りの紙)の下に横たわっている彼は、この世で「何も所有していない」。

そんな状況のなかで、彼は「青い電光のような目、もつれた焔のようなたてがみをもった野生馬にのって、天の高みに駆けていく」情景を夢想する。

「おれはなにか大胆な悲劇的なきびしいことがしてみたい」(I want to perform something bold and tragical and austere)そう彼は自分につぶやく。

ちなみにCarcassoneとは、フランスの城壁都市の名前のようだ。この短編とは何の関係もないが、主人公は中世の十字軍やノルマンの闘いをイメージし、自分が死んでいるのにも気づかず疾駆する馬もイメージする。

そして意識の片側で彼は、海の洞窟で波に揺れる自分のskeltonも思うのだ。

 

なぜこのわけのわからない短編に惹かれるのだろう。

私にはこの短編がフォークナーの自画像のように思えてしまう。

彼は社会的には、殆ど無能だったと言ってもいいかもしれない。父の世話で仕事についてもクビにされ(ちなみに私は郵便局長になった彼が、本ばかり読んでいて手紙の配達をせずクビにされたエピソードがなぜか好きだ)書くことと本を読むこと以外、何にも興味を持てなかった人だ。

自分の屋敷「ローアン・オーク」にこもり、ただひたすら自分の夢想のなかで、ヨクナパトーファ郡という地図にない世界を作り上げ、そのなかでまるで実在したかのような象徴的な人物たちを描き続ける。

そんな自身のありようを詩にしたのが、この短編のように感じられてしまう。

 

そして詩に近い作品のせいか、私の好きなフォークナー的な表現がたくさん出てくる。

冒頭の一節。

And me on a buckskin pony with eyes like blue electricity and a mane like tangled fire, galloping up the hill and right off into the high heaven of the world.

(そしておれは鹿皮色の野生馬にのっている それは青い電光のような眼、もつれた焔のようなたてがみをして丘をかけのぼり天の高みへとまっしぐらに駆けていく)

 

こういう、見方によれば少女趣味な文章をぬけぬけと書いてしまうのが、フォークナーの魅力。

それからこういうレトリックもいい。

a vacuum in which nothing, not even silence was.

(なにもない、静けさそのものさえない空白)

that steady decay which had set up within his body on the day of his birth.

(彼が生まれ落ちたその日から体のうちに始まっていたあの絶え間のない腐朽)

 

そしていつも最後の文章をきめるフォークナー。締めくくりは。

a dying star upon the immensity of darkness and of silence within which, steadfast, fading, deepbreasted and grave of flank, muses the dark and tragic figure of the Earth, his mother.

(それは光のうすれた一つの星となって、暗闇と静寂の無限の空間にまたたき、そのなかで、色うすれながら動かず、ひろくゆたかな胸をひろげ、墓なる横腹をよこたえて、彼の母、大地の暗く悲しそうな姿が、じっと思いに沈んでいる)

 

現実と夢想との対極的な世界のなかで、夢想の馬だけは駆け続け、そして生の二つの極限を「母」である地球が眺めている。

末尾の「mother」という言葉に、この詩世界のすべての矛盾も対立も収斂されていくような、そんな気持ちがするのは、私だけだろうか。

(文中の日本語訳は、すべて林信行氏のものです)